Callygraphy, Shuji
ちょっと季節外れであるが、中学校の頃に最初に習った詩を思い出している;
春眠不覺曉 處處聞啼鳥 夜来風雨聲 花落知多少
こうした漢詩漢文は、当時のわたしにとって、好悪が複雑に絡まった不思議な存在であった。
昨今の中国との軋轢をみるにつけ、かの国の文化をもっと知るべきだと思っている。漢詩はひとつの方法かもしれない。

無様に馬齢を重ねるにつれ、俳句のすばらしさに気づき、矢立を見つけてきて習字のつもりで漢詩をいくつか模写してきた。
習字は、何故か好きな授業だった。私よりひとつ下の従姉妹が県のナントカ賞を貰ったというので、ちょっと頑張ったが、大分下の特選止まりだったので、止めてしまった。
習字の先生はK先生。鬼瓦を潰した様なお世辞にもいい顔とはいえない風貌だったが、以外に人気があり見事な筆遣いだった。K先生は、授業中に生徒の席を中堅ヤクザのようにフラフラ回り、生徒の背中を小突いたり、頭に拳骨でグリグリ押し付けたりと、型破りの先生だった。困ったことに野球部の監督だったから、練習時の延長みたいに、前日のドジに文句を云われ本日の予定をブツブツ云いながら離れざまにボカンと殴られていた。
中学生のガキでも惚れ惚れするような素晴らしい字を書いていた。書初め用のでかい筆しか使わなかったので、普段使う細筆までには何故か習う機会がなく、歳月が流れた。
大酒のみで、さらに困ったことは英語も教えていた。でかいドラ声で、いい加減な発音・イントネーションで教えられた英語は、高校の授業で米国帰りのW先生によって大きく軌道修正された。
でも私は何故か、颯爽として超合理的のW先生よりも、無様な田舎教師のK先生のほうが好きだった。
筆を執ると、K先生のダミ声が聞こえてくる、「おい、カズ。背中を伸ばせ」。私の猫背は、残念ながら変わっていない。

今朝のラジオは「北海道の赤ひげ先生と言われて(1)」
浜中町立診療所・名誉所長 道下俊一医師

道下先生は樺太生まれで、終戦後引き揚げて北大に入り、第2内科(日赤系)の教授のひとことでキリタップへ派遣された。札幌から10時間、電車に揺られて8500人にたった一人の医師、新婚の奥さんに文句云われながら赴任。着いたのはペンキの剥げかかったオンボロ平屋建て。
翌日午前は来院ゼロ。午後にやっと一人の老婆がやってきて
「どうせすぐ札幌へ帰るだろうけど、背中が痒くて眠れないから、、、」といわれた。来院数名の日々が続き、ネクタイを外して地元民と近づこうと試みる。
往診に行くにも車なく、救急車が導入されたのはS48年?
吹雪の日は、湯たんぽを抱いて毛布を数枚巻いて走って往診した。そして一年たって札幌に戻れる頃、患者さんの涙をみてNoと言えなくなった。携帯電話もない時代、ないからかえっていいことも。
カルテの裏側をみる、問診を十分して聴診器を当てろと若い医師に伝える。今は3時間待って3分診療の時代
浜中町ってどこだかわからないので地図を広げてみた。釧路から東へ向かうと歯舞色丹の根室に行くが、その中間にある。
Wikipedia によると、「太平洋に面し、浜中湾、霧多布湾を形成。

北部の内陸部では酪農が盛ん、南部の海岸地帯では漁業(昆布、ホッキなど)が盛んである。特に、天然昆布の生産量は日本一を誇る。」
けふの誕生花はゲンノショウコ
 現に証拠と薬草
花言葉は「心の強さ」
けふの一句;「着陸を 待つ空港の 星月夜」 岡安仁義
 成田空港で亡き妻を想う句とのこと、季語は星月夜

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