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A bush clover

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眠気を必死でこらえた夕べ 好物のお素麺をタンマリ食べ、TV番組でアベさんのお話を聞いたが、睡魔には勝てない。 昨日やっと鹿児島の義母に外科的処置がなされた。連休前の20日に緊急入院、内視鏡 七草のひとつ、土手など斜面に真っ先に生える「パイオニア植物」でもある「ハギ」、マメ科。花 桂信子さんの句 五木ひろしさんの歌「萩の里」 故郷(ふるさと)は福井とのこと 本日見つけたサイト;現代メディア http://gendai.ismedia.jp/
Medicare Bills Rise as Records Turn Electronic Over all, hospitals that received government incentives to adopt electronic records showed a 47 percent rise in Medicare payments at higher levels from 2006 to 2010, the latest year for which data are available, compared with a 32 percent rise in hospitals that have not received any government incentives, according to the analysis by The Times. http://www.nytimes.com/2012/09/22/business/medicare-billing-rises-at-hospitals-with-electronic-records.html?_r=1&hp けふの誕生花はマンジュシャゲ、  花言葉は「再会」  大震災から1年半、亡き人と再会できる日   突き抜けて 天上の紺 マンジュシャゲ  山口誓子 やや肌寒い日曜日、さあ今朝も元気で

9-22 Our direction

午前中は、久しぶりに市立病院へ行く。KGBと娘は新幹線で鹿児島に向かい、昼過ぎには着く。 休日でも、若い人が数人モニターでキーボードを叩いている。昔は良かったのか悪かったのか、亡くなったT教授から繰り返し諭されたことを思い出す。「患者さんがテキストブックだ、昼間はしっかり患者さんを診て、勉強は仕事が終わってからだ。」 電子カルテの導入で、私も連日モニターとニラメッコ。IDとパスワードを入力し、面倒な画面展開を繰り返してやっと、所見を入力、オペ所見も予め自分専用のテンプレートを作っておけば、一部を修正するだけでいいのだが、端末が看護士さんも使っているので便利とは程遠い。まあ、若い人はわざわざ病棟に行かなくても、医局でカルテを記入チェックできるし、XpやCT,MRIもモニターに出るからいいかもしれない。雑誌も殆どがオンラインとなっているが、私みたいなロートルはやはり、紙に印刷されたものをパラパラめくるほうが肌に合っている。気になった論文に、なぜかコメントしたくなって、資料を集めた。 昔は5-6日以上かかった論文集めも、ものの数分で検索でき、しかもAbstractなどをコピペできる夢のような時代となっている。途中コーヒーブレイクして午前中一杯かかってメールで投稿。プリントした原稿を3部も送付しろと書いてあったが、面倒なので明日以降とした。  腹ペコ状態でネグラに戻り、夕べのコンビニ弁当をチンして食らう。腹の皮が突っ張ると、瞼が弛緩し仮眠。KGBからのメールを待つが、無しのツブテ。 時間つぶしに、クラカメを数台出して、シャッター音をチェック、ピアノはハノンの指慣らしだけでボケ防止。 さて、ニュースをみると ”With China’s rise, Japan shifts to the right” Japan is in the midst of a gradual but significant shift to the right, acting more confrontationally in the region than at any time since World War II. confrontational とは 対立的な,対決する覚悟の意味で、現在最も右にシフトしていると指摘している。 The shift applies strictl...
Callygraphy, Shuji ちょっと季節外れであるが、中学校の頃に最初に習った詩を思い出している; 春眠不覺曉 處處聞啼鳥 夜来風雨聲 花落知多少 こうした漢詩漢文は、当時のわたしにとって、好悪が複雑に絡まった不思議な存在であった。 昨今の中国との軋轢をみるにつけ、かの国の文化をもっと知るべきだと思っている。漢詩はひとつの方法かもしれない。 無様に馬齢を重ねるにつれ、俳句のすばらしさに気づき、矢立を見つけてきて習字のつもりで漢詩をいくつか模写してきた。 習字は、何故か好きな授業だった。私よりひとつ下の従姉妹が県のナントカ賞を貰ったというので、ちょっと頑張ったが、大分下の特選止まりだったので、止めてしまった。 習字の先生はK先生。鬼瓦を潰した様なお世辞にもいい顔とはいえない風貌だったが、以外に人気があり見事な筆遣いだった。K先生は、授業中に生徒の席を中堅ヤクザのようにフラフラ回り、生徒の背中を小突いたり、頭に拳骨でグリグリ押し付けたりと、型破りの先生だった。困ったことに野球部の監督だったから、練習時の延長みたいに、前日のドジに文句を云われ本日の予定をブツブツ云いながら離れざまにボカンと殴られていた。 中学生のガキでも惚れ惚れするような素晴らしい字を書いていた。書初め用のでかい筆しか使わなかったので、普段使う細筆までには何故か習う機会がなく、歳月が流れた。 大酒のみで、さらに困ったことは英語も教えていた。でかいドラ声で、いい加減な発音・イントネーションで教えられた英語は、高校の授業で米国帰りのW先生によって大きく軌道修正された。 でも私は何故か、颯爽として超合理的のW先生よりも、無様な田舎教師のK先生のほうが好きだった。 筆を執ると、K先生のダミ声が聞こえてくる、「おい、カズ。背中を伸ばせ」。私の猫背は、残念ながら変わっていない。 今朝のラジオは「北海道の赤ひげ先生と言われて(1)」 浜中町立診療所・名誉所長 道下俊一医師 道下先生は樺太生まれで、終戦後引き揚げて北大に入り、第2内科(日赤系)の教授のひとことでキリタップへ派遣された。札幌から10時間、電車に揺られて8500人にたった一人の医師、新婚の奥さんに文句云われながら赴任。着いたのはペンキの剥げかかったオンボロ平屋建て。 翌日午前は来院ゼロ。午後にやっと一人の老婆がやって...

井戸を掘った人

「信は縦糸、愛は横糸」と唱え通訳の結婚お祝いのアルバムに毛筆で認(したた)めた岡崎嘉平太氏、学生時代に中国からの留学生と親しくなりなるも、ある日突然帰国、引き裂かれた友情が原点という。 5年前の再放映; 戦時中は上海で銀行 終戦で日本に引き上げ、国交断絶時にも中国と貿易 岡崎構想を実行に移そうとするが、ネックはお役所。外務省はやはり、突っぱね、通産省が話を聞いてくれ 1962年の貿易協定、 そこで周恩来は しかし、日中には2000年の友好の歴史あり、わずか10数年の 5年間の期限切れ迫る 佐藤政権の台湾訪問で悪化した両国 苦労して 覚書貿易協定 ニクソン訪中で潮目が変わる 佐藤政権から、田中内閣へ 驚いたことに、調印式に岡崎氏の名前がなかった そのことを指摘したのがなんと周恩来、すぐさま日本へ電話し 恐縮です、恐縮と ゆっくり2回 1972年9月29日の印式の2日前に会見 https://www.nhk.or.jp/special/onair/070319.html 戦争賠償金請求を却下した、周恩来 100回の中国訪問、中国いのようなあたたかい国を知るには100回だけでは足りない、素直な時期若い人ほど その数ヵ月後、自宅の階段からの転落事故で92歳の生涯を閉じた 14年前(19年前)から交流している 周恩来の生家の井戸で水を飲む日本と中国の若者